2019.10.24@売春捜査官 ギャランドゥ

 

「僕は3歳の頃からずっと大量応援団でした。小学校にもろくに行かず、毎日毎日早朝に「フレー!フレー!漁師さん! 頑張れ!頑張れ!漁師さん!」と、水平線の向こうに叫び続けるんです。暑い日も寒い日も雨の日も。大量だった日はいいですよ、だけど良くなかった日にはもう「お前の応援が悪いからだ」って言って、大人たちが殴って蹴ってくるんです。応援なんかで捕獲量は変るはずないのに。そして貴女のお父様はこう言うんです。「うちの大切な娘を小学校にもろくに行ってない、応援すらまともに出来ない、そんな奴なんかにやれるか」ってね。それで僕を殴るんですから、母は止めに入って「きちんと応援させますから。どうか、どうか今後もお付き合いよろしくお願い致します…」ってね。土下座までする母を貴女のお父様は殴って、母の額にはえぐれたような傷が残ってますよ。女手一つで育ててくれた母は今でもびっこを引いて歩いています。わかりますか、あの時の傷が原因でね!…貴女を見ると殺してやりたいくらいに憎いんです。心から愛した貴女が、心底憎くて憎くてたまらないんですよ!」

 

物語の中盤で私が一番覚えている、礼生くん演じる熊田刑事の台詞。こんなに長い台詞もきっと10秒未満だっただろう。それくらい物語の台詞は多く、スピーディーで重たいハンマーで殴り合っているようだった。話に噛み付いて引っ張られることが精一杯の理解だった。

 

熊田刑事の幼少期の悲痛な叫び。ずっと喉を掻っ開いて、叫び続け、フルスピードで。思わず幼少期を想像して泣いてしまう所だった(想像する間に次のシーンは始まってしまうので、そんなことする余裕はない)。

 

伝兵衛部長はややこしい名前ながら女。しかもいい女。セクシーで色気があって、それでいて男に負けない口減らずで他人を馬鹿にして笑うような人。

だけど熊田刑事の事が好きで、今まで忘れられなかった。文字にすると純情そうだけど、そんな事1ミリも感じさせない、破廉恥で下品な女刑事。部下の万平に自分のショーツを買いに行かせる。生理が来た事を周囲に報告する。女が女である事を笑って、罵り、馬鹿にする。ホモ、ブス、1000円女、憎たらしい皮肉な言葉を他者に浴びせていた。そして自分さえも。その時代に女部長として強く生きている姿。

伝兵衛部長に賛同できる生き方は無いけれど、最後に五島の秘密を守ろうとするところ、上司の枕に承諾して己を犠牲にしながら考え方を改めさせようとする姿は、この人にも慈愛という言葉が有ったのかと驚いた(きっとそれは私が女として私としての考え方を持つこと、発することが許された時代に生きているから賛同出来ないのも大いにあると思う)。

 

部下のチャオ万平は昔は女好きだったが、伝兵衛曰く「鍼をさされてホモになった」らしく、いかにも二丁目のガチムチルックに不似合いな中華の出前で使う岡持ちを片手に登場。その中から出てくるいくつものサテンで派手な女性物下着。それはチャオ万平を伝兵衛がパシリに使わせた購入品だった。

大分の村に生まれ、一人息子の彼は父と母に愛され、それでいて同性愛者である事を疎ましく思いそれが枷となり実家に寄り付いていなかった。伝平兵衛にはその事について嫌味ったらしく、「ホモなのにご実家に帰られるんですか?一人息子の貴方が、赤いピンヒールでも履いて、真っ赤なワンピースを着て、お母様とお父様はさぞお喜びになるでしょう。一人息子の貴方がホモになって帰ってくるのですから!」と言う。彼女の仕事のやり方に嫌気がさして、終盤、退職を決意し実家に帰ること伝える彼に対して伝兵衛は同じ事を幾度となく繰り返すが万平は「喜ぶでしょう。父は酒瓶を片手に、母は泣いて喜ぶでしょう。息子が、たった1人の息子がホモになって実家に帰るのですから。…小さな村です。きっと周りからは白い目を向けられ、村に私たち家族の居場所は無くなる。それでも、父も母も泣いて喜んでくれるでしょうね。」と。伝兵衛は彼のその言葉を受け取り、デスクの一番下の引き出しから真っ赤なピンヒールと彼の大切な恋人はるき(万平がはまったホストクラブの男。ピンクの超ミニ丈のティーシャツにデニムのホットパンツ)の2人分の航空チケットを渡す。これで万平ははるきと2人で実家に帰っていく。

 

熊田刑事は八王子から赴任してきた男で明日、ユキコ(元ホステス)との結婚式を控えている男。若い頃にやんちゃをしてその時李さんにお世話になっていた。そして同じ田舎出身である伝兵衛とは元恋人だった。彼らは駆け落ちしようとしたものの失敗に終わり、それから2人は疎遠になっていた。

「貴方は私の青春でした」そう言う伝兵衛はセーラー服を着て雪の日、彼が来るのを待っていた事を話し出す。お互いにすれ違い、会えずに駆け落ちは成立しなかった。

「もう勘弁してください、もう勘弁してください」「なにを勘弁しろというのです」「もう勘弁してください」「なにを勘弁しろというのです!」「もう勘弁してください」幾度と無く繰り返したこのやり取り。土下座する熊田刑事。声を荒げる伝兵衛。熊田刑事とユキコの間には子供がいた。「自分にはユキコくらいの女が丁度いいんです。ブスでアバズレでどうしようもないユキコくらいの女が丁度いいんです。…ユキコのお腹の中には子供がいます。2人で生まれてきた子供を育てていくんです。だからもう、勘弁してくださいと言っているんです。」微かに震えるその声は昔好きだった忘れられない女に再開した男、それでいて明日には結婚式を控えさらには子供まで宿していたもう後戻りは出来ない哀れな男だった。母の額に傷まで作り、それなのに愛した女と一緒になれず、別れ、荒れ果てて、世話になった人を亡くし、一夜を共にした女との間に子供を授かり、結婚まで決めたのに今になり昔の心から愛した女が目の前に自分の事を好きだと言って立っている。しかし自分には家族を守る、家族を養うという義務がある。心を掻き乱されたくない、今を守らなければいけない男は可哀想で哀れだった。

 

 

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コミカル(とは言い難い)で、フルスピードで、まるでジェットコースターに乗りながらマシンガンを打って打たれているような、そんな感覚のお芝居でした。きっと役者の技量があってこそ作れる舞台であって、もちろんナマモノですからアドリブもあるけど、客に見せたいというよりは自分たちが楽しいからそれを表に出したいっていうのが伝わってくる、良い温度で。役者本人の人間性や心や感性が見えてくるものでした。

物語の最後は素敵なハッピーエンドでもなく、誰かが壊滅的な納得できないバッドエンドでもなく、現実的な登場人物にはこれからの時間も生きていかなくてはいけないと思わせる終わり方だった。本来私はそのような物語の終わり方は鼻落ちないことが多くて好きではないけれど、例えるなら自ら他者をえぐって(自分の手で傷を付けたのだから、もちろん自分自身の手にだって傷はついていて)、その手で相手の傷に粗塩を塗り込んで、痛めつけて。でも最後の最後で少しだけ消毒液を垂らして手荒く拭き取って、去っていく。個人的な解釈だけど、そんな作品だと思った。

 

 

 

 

これを観た当時(2019.10.24)、感想を書き途中のまま未完成だったんですけど、3ヶ月経ってもあのお芝居の衝撃は忘れられなかったので、また観に行きたいです(礼生くんが出るなら2、3回は観たい)。

本当はストーリー的にも時代背景的にもあまり観たい内容では無かったので、最初見る気が1ミリも無かったのですが(チケットも買ってなかった)、礼生くんのイベントでアピールがあったので公演期間中の休みの日のチケットを1枚だけ買って急遽観に行ったものでした。あの時の私、見に行ってよかったね。

つかこうへい作品、逸見さんの演出、稽古期間の短い中あんなに尖ったお芝居は凄いものでした。舞台やお芝居の事に詳しくない私が見てもすごい衝撃を受けるのだから、ちょっとでも触った事がある人はどんな感情になるのか気になります。

再々々演として本田さんがキャスティングされることとても期待しています。

 

 

 

 

 

 

余談

 

内容は下ネタとか可愛いレベルじゃ無いくらい本当に下品で、そういうのに嫌悪感がある人は見ない方が良いんだろうなと勝手に思ってます。冗談なしで引くレベルです。このご時世にこんな作風の舞台があることはすごく面白い。

 

個人的には推しが両方の鼻の穴にタンポン(未使用)を突っ込んでいたり、鼻までしっかりと女性物パンツ(使用済み)を被った変態的な姿を目の前で見れたのは美味しかったです。

あと、菊の花でお尻をバシバシ叩かれていた時、生花と草の匂いがして、あぁこれが小劇場の距離感か…って感じました。

 

 

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(連日のツイートより)

2020.01.08@中野サンプラザ

2020.1.8@中野サンプラザ

 


きまるちゃんがお休みを発表して4ヶ月。脱退を発表してからは初めてのライブだった。数日前から緊張して、当日は青の服を着て行っていいのかすごく悩んで、お気に入りのヴィレヴァンコラボのTシャツと青いギンガムチェックのシャツを着た。

 

 

 

 


ステージにはカーネーション、向日葵、百合、紫陽花の花がたくさんあしらわれていて、光もちゃんと4色あった。それが優しさからきてる温かいものだと分かっていながら、私にとっては嫌味なくらい推しが居ないのに存在を感じさせて、それでもステージのどこを見てもあの青を纏う人はどこにも居ないのが悔しくて苦しくて絶望した。

ありがたいことに最前でライブを見ていたのだが、目の前に視界を遮るものは無い初めての環境なのに曲中に苦しくて何度も俯いてしまった。きまるちゃんのパートを歌う他のメンバーに、名前を叫びたいのにそこには居ない彼に、彼のパートで掲げることのない青のサイリウムに。1番前でずっと泣いている事も申し訳なくて、俯いてしまう事も申し訳なくて、100%の気持ちで楽しむ事が出来なくて、私自身の行動ひとつひとつがメンバーのプレッシャーになってしまうのかと考えたし、こんな奴が1番前で見るなよと思うのもわかるし、全てがメンバーにも他の彼らを好きな人にも全部申し訳ない気持ちにもなった。それでも私は今日見なければきっと決心出来ないまま、ズルズルと引きずって、きちんとお別れもできないまま生きることになるのだろうと思ったからライブを見た。

途中で1度無心になってしまった。彼が居ないこのライブで青を掲げられない、呼びたい名前の彼が居ない、居たはずの彼が居ない3人で完成されたステージ。どこを見ていいのかも分からなくて、ただ音を聞いていた。もちろん彼らのパフォーマンスは歌唱にだってあるのだから、体に馴染んだきまるちゃんの彼の声は聞こえない。そのかわりに他のメンバーの個性のある歌が聞こえて、それにすら心が嫌がった。

3人でのライブは9/1の横浜ぶりに見るステージだった。きまるちゃんが休んで5日目、歌割も抜けたり穴のあいたダンスも不安定だったのに、4ヶ月経った今は3人で完成されたものだった。きまるちゃんがいない間、3人が頑張ったのもわかってる。決して消した訳じゃない。お金を貰って仕事として、パフォーマンスを見せる側として未完成なものは見せられない。理解はしていても、心が拒絶してしまって受け入れられない。本当はその場に座り込んでしまいたかった。

 


本編が終了して会場中にアンコールが響き渡る。

私は泣きじゃくった。どこにも彼は居なかった。その現実が1番苦しかった。存在感だけあるのに、どんなに探しても1番前で見ても姿は見えない。もう一度だけ、アイドルの彼に会いたかった。だけどもうそれは絶対に叶わない。その事実が本当に本当に苦しかった。

「どこかで生きているのにもう会えない人は死んでしまったのと全然違うそしてそれは時に同じで」勝手に殺すなって怒りの感情もあったけど、もう会えないし、アイドルの彼は死んでしまったので同じなのかもしれない。

死んでしまった人にも、アイドルの彼にももう会えないのだから。

 

 

 

長めのアンコールが続いて、ステージが明るくなる。そこに出てきたのは青色の紫陽花柄を纏った3人。あぁ、やっぱりきまるちゃんをイメージした衣装だ。と、少し想定はしてたけどすごく落胆した。これも優しさなのは分かってるんだけど、衣装にまできまるちゃんを入れてしまったらいつまでもきまるちゃんは一緒にいれて、それなのにそこに姿がないことが証明されてしまうじゃないか。

和服風の衣装がその証明で、見たくもなかった。周りのオタクがザワついて話すように、私もその衣装を好きになりたかった。

優しさが酷く苦しい形になって心がズサズサにエグられた。

きっとこんな事を思ったら彼らは傷付くだろう。どうして彼らが傷付くことを私は思ってしまうのだろう。とても悲しかった。

 


ミキちゃんが「おなカマときまるくん、私たち二丁魁の全員をひっくるめた曲になっています。」と言って歌ったその日だけの新曲はステージの上のステージでそれぞれのカラーでスポットライトが灯される。白、黄色、青、赤。きまるちゃんのところだけあいた空間を作ったフォーメーションはすごく歪だった。

「失って気づくというけど、いつも大切だった」みたいな(ニュアンス)歌詞を歌うぺいちゃん。そこに彼らの優しさを感じた瞬間、涙が止まらなかった。これは私の心にすっと溶ける優しさだった。

ふと思い出して、大切だったって感じるんじゃ無い、いつ思い出してもどこを切り取っても大切だった彼のかけら。

大きなモニターには過去の映像が映し出されていた。私の知っているきまるモッコリ。話す人の顔を真っ直ぐと見て、猫背ですこし首だけ前に出して、話を聞きながら大きく頷く知っているきまるモッコリ。たくさんの笑顔を向けてくれるきまるモッコリ。最後に、アイドルだった彼に会えることが出来た。これを一生忘れたく無いと思った。

 


続く2曲は彼ららしいキラキラしたアップテンポな曲で、ライブでも定番でだからこそきっとやるとは思っていたけど、しゃくりを上げるほど泣いている私は何も覚えていない。こんなに泣いたのは大人になって初めてだった。

ただ、最後アイドル二丁目の魁カミングアウトのきまるモッコリをモニター越しにでも見ることができて本当に良かった。そう思えた。

 


こうしてライブは終わったけど、正直影アナから泣きっぱなしだった私は1曲目の新曲もきっといい歌詞だったんだろうって、振り返ると思うけど記憶には薄くて、苦しくて聞きたくなかった青春もそっ閉じもボク嫁も、いつも隣に居てくれる彼女がきまはくで対になるフリをしてくれていたのも、後ろで飛んでいるかもわからないそれでも後悔するって思って推しの所で飛んだカエルも、彼のダンスがすごく好きだったのにもう居ないと見せつけられた三原色もリバも、ショートバージョンで歌う曲が青いライトで灯される背景も、1番端でマイクスタンドを使う彼のいない鶴亀も全部全部、数日数ヶ月数年経ったら記憶とこの気持ちは忘れてしまうのだろう。そうしたらきっとまた彼らのライブに行こうと思えた。今はまだ、彼のいない歌やダンスを脳に染み込ませることはしたくないけど、時間をかけていつか受け入れられる時が来たら行けるのかもしれない。ライブで少しずつ3人に慣れて、新しいアルバムで3人の歌を聞いて、それまでは思い出と一緒にいたい。

 


今まで素敵なたくさんの思い出や気持ちをありがとう。暗い所にいる私をそれでもいいよ、って言ってくれるような歌が大好きでした。彼らの歌は人を救えるから、これからたくさんの人に出会って欲しい。だから私もまたいつか。ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


余談

 


私は考えていたり、我慢していたりする時何処かを握りしてめてしまうのですが、今回無意識にTシャツの襟元を強く握っていたぽくて、家に帰ったら襟元がビロビロになってしまっていました。